ノマドワーカーとカフェ
ノマドワーカーがカフェに求めるものとは?
LAから届いたワーキングカフェ最新事情
Nomad Worker and Cafe
photography & text:Aya Muto
edit:Shigeru Nakagawa
produce:Yuki Tadano(MAGAZINEHOUSE CREATIVE STUDIO)
コーヒーショップというコミュニティスペース
ヘザー・ノックスとジョッシュ・オリヴェロス夫妻が『Obet & Del’s Coffee』をオープンさせたのは、運命的にも2020年の1月のことだった。「コミュニティが集える場所を」と希望に満ちたスタートからわずか2ヵ月経ったところで、カリフォルニアでもパンデミックによるロックダウンが敷かれることに。幸い彼らは人々が日常生活を送る上で欠かせない仕事を担う「エッセンシャルビジネス」として規制にのっとった営業を認可され、パンデミック中もテイクアウトのみを提供する、といった工夫をしながら営業を続けたという。「ハリウッド通りに面したローケーション、でも一歩道を入れば住宅街。私たちはこのネイバーフッドのお客さんに支えられてここまできました」と、この近所に生まれ育ったヘザーは話す。やがて徐々に店内にお客さんを迎え入れられるようになってからは「コミュニティのマーケットプレイスとしての機能も持たせたい」と、友人たちのスモールビジネスを積極的にフィーチャーしている。プラントを“生きるインテリア”として提案する〈WYLDBNCH〉の観葉植物が空間に心地よい緑を演出し、ショーケースにはグルテンフリーやヴィーガンドーナッツも作る〈Sugarbloom Bakery〉のペストリーがずらり。カフェで使う〈Patria Coffee〉や〈Woodcat Coffee〉などローカルな焙煎家の豆が並ぶ棚には、自宅でも美味しいコーヒーを淹れられるように、とドリッパーやフレンチプレスも置かれている。
長居大歓迎の店づくり
ハリウッド通りに面する大きな窓から入る自然光が天井の高い空間に満ち、平日は特に常連客のリモートワーカーたちで賑わっている。お客さんに自由な時間を過ごしてもらうことが前提のカフェだから、壁に接したすべての席とカウンターの席にはコンセントをあらかじめ設置した。その数は30以上に上る。「カフェに居てくれるお客さんからもらうエネルギーは計り知れません」とヘザー。その感謝の気持ちを込めて、『Obet & Del’s』には“ボトムレス・ドリップ”という6ドルで無限におかわりできるコーヒーメニューまであるくらいだ。またラップトップをオフィスに、さまざまな形態の仕事をこなす誰もが相席しやすいように、シーティングの配置にも工夫が見られる。昨年冬には、オープン当初にジョッシュが手作りしたクッション付きのシーティングを取り払い、中古の木製ベンチに総入れ替えした。「あるお客さんに『駅のようだ』と言われましたが、どこかへ向かう途中の公共の場所、といった雰囲気が木製ベンチにはあるようですね」。カフェに訪れるお客さんの目的はさまざま。皆が使いやすく、そして開かれた空間を保つことを意識していろいろなエリアに席を設けている。窓際の向かい席、くぼみに配置した背付きの4人掛け席、壁沿いに並んで座れるベンチ席など、そのバリエーションは多彩。「観察していると店内の動線がより自然になり、相席もしやすくなったみたい」とジョッシュが満足そうに付け加える。レンガとウッドとアースカラーの内装がより際立ったオープンな空間は、オーナーが日々愛情を注ぎ込むカフェゆえの成長にほかならない。
「3つ目の場所」としてのカフェ
“タイタウン”の愛称でも知られるこのイーストハリウッド地区には、ネットフリックス本社もあり、周りには撮影スタジオも多いという。常連さんのなかには、映像作家や脚本家も少なくなく、事務所を持たずに自宅や撮影場所で仕事をするセクターが多い、ロサンゼルスの象徴とも言えるような面々でカフェは日々賑わっている。話を聞いたお客さんのなかに「自宅でもなく、仕事場でもない3つ目の場所の大切さ」を説いてくれた高校の音楽教師がいた。伝統的にはそれが街の広場であったり、コミュニティセンターであったり、教会であったりしたが、忙しい現代人にとってはコーヒーの周りに集えるカフェがその役割を果たしているのかもしれない。「自宅にはない緊張感がここにはある。他のお客さんの目に励まされて、仕事がはかどる」というフリーランス編集者の声もあった。必ずしも対話をするわけではないけれど、クリエイティブな交信がいつ起きてもおかしくないような心地よいテンションが張り詰めているのは、ヘザーとジョッシュがこのカフェをコミュニティスペースとして全面的にプッシュしているからだろう。さまざまな創造力を駆使して仕事に取り組むお客さんたちの憩いの場であり、仕事場であり、ときには交流の場として、このカフェは日々脈打っているのだ。
Obet & Del’s Coffee
5233 Hollywood Blvd. Los Angeles, CA 90027
6:30 - 16:30 無休
www.obetanddels.com
焙煎機のあるカフェの始まり
カルバーシティという、建築事務所やクリエイティブオフィス(近年ではアップル社やナイキ社も近隣にオフィスを設立)が多く拠点を置くエリアに、2013年にオープンした『Bar Nine』。当時はスペシャルティコーヒーブームがロサンゼルスにも押し寄せ、“サードウェーブ”という名でこのコーヒー周りの現象をメディアが盛んに取り上げていた時代だ。シングルオリジンの豆で産地の特色をフィーチャーし、豆の味を前面に引き出す焙煎で、ワインのようなテイスティングノートを記録することが、コーヒー通の間に浸透していった時期であった。ポートランドやサンフランシスコを席巻したコーヒームーブメントは、ロサンゼルスにも大きな影響を与えたことは言うまでもない。『Bar Nine』は、コーヒー通なら誰しもが知るスポットで、パンデミック前はカッピング(豆のテイスティング)など、コミュニティを巻き込んだコーヒーイベントをたくさん行っているカフェだった。
『Bar Nine』の広い空間の中央には〈Probat〉の焙煎機が鎮座し、豆のローストからコーヒーを体験できるカフェとして、オープン当初から愛好家たちに愛されてきた。共同オーナーのゼイド・アル・ナクイブが提案するメニューは、キャラメルのように丸みのある風味の“Bonbon”、花のように芳しく軽い“Flora”、そしてフルーツとしてのコーヒー豆の複雑な風味を演出した“Fruta”の3種が骨格となる。それをコールドプレス、フィルター、そしてエスプレッソとお客さんの好みの淹れ方で準備し、希望があればホールミルクのほかオーツミルク、自家製ヘーゼルナッツミルクと合わせて各種のドリンクにバリスタが仕上げていく。創業当初から、あえて低く作ったカウンター下に各種マシンを設置する〈Modbar〉社のシステムを取り入れ、お客さんとの対話を妨げないようなデザインを率先して取り入れているこのロースターカフェでは、注文するところからコーヒー話に自然と花が咲くように配慮されている。
新たなコーヒーの楽しみ方
広い空間中央に浮くカウンター席、焙煎機の周りのスタンディングバー、そして奥に大きな共同テーブル、と広大なスペースを存分に利用したシーティングのカフェも、パンデミック中はその扉を閉めざるを得なかったという。2023年が明けてようやく店内にお客さんを入れての営業を再開するまでの間、ロースター業に専念するとともに、以前から研究していた新しいエスプレッソの楽しみ方を「Pure Espresso」というオリジナルプロダクトとして完成させた。これは、徹底したクオリティコントロールのもと、25-28ショット分のエスプレッソが充填されたボトルで、カクテルやベイキングなど、その用途は工夫次第で無限大だという。オフィスや自宅でも同じクオリティのコーヒーを楽しんでもらえるように、と店頭では750mlのボトル入りの「Pure Espresso」が販売され、近隣のオフィスからのお客さんが数本ずつ買っていくこともあるという。
常連さんは、仕事で長居する間にいろいろな飲み方でコーヒーを楽しんでいるようだ。今年9周年を迎えた『Bar Nine』では、マセレーション(さまざまな方法で発酵させ、複雑な味を引き出すプロセス)したビンテージ豆をアニバーサリーブレンドとして期間限定でメニューに加えていた。ノマドワーカーのように仕事をし「ながら」のお客さんにも、コーヒーの奥深さに触れてもらいたい、とゼイドたちは日々工夫と探求に余念がない。
映画のシーンを作るように
平日のカフェ風景には、コーヒーを片手にラップトップを開いている姿がここでも多く見られる。パンデミック以降はやはりお客さん同士の距離感を再考し、共同テーブルを外して別個のテーブル席を設けたり、スタジアム・シーティング(階段席)も奥に設置し、より拡散して座ってもらえるように配慮した。暖かい日は入り口を大きく開け、天窓から入る自然光がウェアハウス的な空間を優しく包み込む。自転車に乗ってくる近隣の常連さんも多く、入り口手前にはミルクカートンをひっくり返しただけの屋外席も用意している。焙煎機が稼働している日は「それが良いホワイトノイズになって集中できる」というお客さんもいるようだ。また「天気の良い日はアップビートなプレイリストをかけたりするけれど」というゼイドは、常にお客さんの様子、混み具合、さらには天気までを考慮して、その時点でのカフェの雰囲気を反映したBGMを流している。「映画のシーンを作るように、内装や音楽をそっと背景に置いている」という『Bar Nine』には、オフィスや自宅にない開放感を求め、さらにコーヒーという魅惑の飲み物にまつわるカルチャーに浸りながら仕事をするリモートワーカーたちが、今日も各々の居場所を見つけている。
Bar Nine
3515 Helms Ave, Culver City, CA 90232
8:00 - 16:00 無休
www.barnine.us