一杯のコーヒーをさらにおいしくする、
水素焙煎とは!?
photography:Satoko Imazu
text:Emi Fukushima
edit:Chisa Nishinoiri
「2050年問題」に向け、注目を集める水素焙煎。
地球温暖化がさまざまな分野に影響を与えはじめている昨今。コーヒー産業もその例外ではない。特に近年叫ばれているのが、「2050年問題」。今、世界のコーヒー豆のおよそ6割を占めているアラビカ種の栽培適地が2050年までに半減し、世界的なコーヒー豆不足に見舞われると言われている。また、気温上昇によって害虫や病気が蔓延することによる、品質の低下も大きな課題に。さらには現在コーヒー栽培を担うおよそ8割が小規模農家のため、品質や生産量が維持できなくなれば小規模農家は離農や転作を検討せざるを得なくなり、豆不足に拍車がかかることも想像にたやすい。
コーヒーをおいしく飲み続けられる未来を作るため、各社がさまざまな工夫を凝らすなか、今、新しい選択肢として「水素焙煎」が注目を集めている。コーヒーの製造において味や香りの決め手となるのが、生豆に熱を与える焙煎の工程。ここでの熱源を、従来の天然ガスから水素に切り替えることで、 CO₂の排出を抑えようという画期的な試みだ。
世界でいち早く水素焙煎の実用化に向け取り組んでいるのが、UCC。2022年から研究に着手し、24年10月には第一弾として、ワンドリップコーヒー製品と炒り豆製品を数量限定で試験的に販売。25年には、“水素焙煎コーヒー”としての量産化を目指している。このプロジェクトに立ち上げ当初から関わる、SCM本部の藤原朋宏さんによれば、水素焙煎は「環境に優しいだけでなく、味覚をはじめとしたさまざまな作用をもたらしてくれる」のだとか。
「水素には着火しやすいという特性があります。だから取り扱いには最大限の注意が必要なのですが、それは見方を変えれば、火をギリギリまで絞っても消えづらいという強みにもなるんです。しっかりした安全対策を取り入れてさえいれば、焙煎の過程で、温度の上げ幅が広がったり、火を絞って温度を低く保つこともできたりする。焙煎のアプローチの可能性が広がるんですよね。それゆえに豆の個性を引き出したり、狙った味を出しやすいということが分かってきました」
ゼロから挑んだ、前代未聞の水素焙煎機の開発。
プロジェクトの拠点となっているのは、UCC兵庫工場の一角。中央に位置するのが、小ロットで水素焙煎を行うことができるパイロット版の水素焙煎機だ。この機械を作ることこそが、プロジェクトにおいて最初の関門だった、と藤原さんは振り返る。
「当社のほか、ガスバーナーメーカーである株式会社ヒートエナジーテック、そして焙煎機メーカーを加えた3社で開発に当たりました。UCCではこれまでにも焙煎機を開発したこともありましたが、水素の取り扱いに至ってはまったく知見がない分野。各社の協力がなければ、作ることはできなかったと思いますね」
特にポイントとなったのは、安全性の担保。着火しやすい特性を持つ水素の取り扱いには大きなリスクが伴うため、さまざまな知見を掛け合わせることで、設計は慎重に進められた。
「ガスを漏らさないことが第一ですが、漏れたときに早く気づく仕組み、着火しても燃え広がらない仕組みを3段階で設計していきました。配管には水素に適した素材を使ったり、専用のガス検知器を取り付けたり、あるいは逆火を防ぐ装置を設けたり。水素を燃焼させる上で培われていた技術を、焙煎機に取り入れていきました」
手探りで進んだ開発過程では、焙煎に対する理解を深める新しい知見を得ることができたことも、有意義だったそう。
「コーヒーメーカーとして焙煎自体にはノウハウがありましたが、その熱源となるガスの種類までは、私自身これまで気にしたことがありませんでしたし、燃焼の知識を持つ人間も社内にはほとんどいませんでした。豆に等しくエネルギーを与えるためのガスの燃焼計算、熱風の成分分析など、天然ガスと水素の燃焼の違いに関して新しい知識を身につけていく過程は、大変でしたが刺激的でもありましたね」
豊かな酸味が引き立つ、水素焙煎ならではの味わい。
試行錯誤を経て完成した水素焙煎機を使い、目下進められているのは、ブラジル、コロンビア、エチオピア、グアテマラ、ベトナムなどのさまざまな豆に対して、温度推移のパターンを変えながら焙煎していく、焙煎プロファイルの研究。プロによる官能評価や、味覚センサーなどさまざまな分析機器を用いた分析を繰り返しながら、量産化に向け、各豆の個性を引き出し、おいしい1杯を提供するための最適なアプローチの決定が急がれている。日々膨大なデータと向き合うのが、R&D本部の山﨑盛司さんと尾原英さんが所属している嗜好品設計チームだ。
「あらゆるパターンで焙煎したコーヒーを、さまざまな分析機器にかけて機械的に測定すること、資格を持った専門家が実際に飲んで官能評価することを並行して行っているので、やっぱり分析の作業は膨大です。分析機器では違いが検出されない場合でも、コーヒーの味覚のスペシャリストの官能評価では違いが検出されることもあり、分析を行う上では人の感覚はとても頼りになります」(山﨑さん)
この日彼らが用意してくれたのは、エチオピアのイルガチェフェ地方産の豆を使った2種類のコーヒー。1つは天然ガスで焙煎したもの、もう1つは水素焙煎したものだ。飲み比べてみると、その味の違いは明確。バランスが良く安定感のある味わいの通常焙煎と比べ、水素焙煎による1杯は、フルーティな酸味が際立っている。
「使用するコーヒー豆の種類や採用する焙煎プロファイルによって、さまざまな特徴を生み出すことができますが、水素焙煎という新しいアプローチの魅力を知ってもらうには、飲んだ時にいつものコーヒーとの違いを実感してもらえることが一番。“おいしい”の一言に私たちもやりがいを感じるので、今後も水素焙煎の魅力を感じてもらえるプロファイルを生み出すべく、開発を進めていきます」(山﨑さん)
2025年にはいよいよ量産化に向け、大型の水素焙煎機が静岡県のUCC富士工場へ導入されることとなる。熱源となる水素自体も、再生可能エネルギーを活用したグリーン水素を山梨県から調達する予定とのこと。環境に優しく、おいしい1杯が気軽に楽しめる日がくるのも、そう遠くなさそうだ。
「“焙煎”とはいわば焼くことであり、あらゆる食品産業に欠かせない工程です。中でもコーヒーは、焙煎が味や香りに与える影響が大きく、ある意味コントロールの難易度が高い食品であるとも言える。その熱源に水素を用いることができたことは、とても意味のあることだと思いますし、さまざまな食品への転用を示唆できたんじゃないかなと。コーヒーのみならず他の分野でも水素の活用が広がっていけばいいなと思いますね」と藤原さん。
おいしいコーヒーを飲むことで、身の回りの環境にほんの少し優しくなれる。毎日のささやかな選択が、明るい未来を作る第一歩になるのかもしれない。