UCC ひと粒と、世界に、愛を

気高く美しきウィーン、
カフェの歴史。

Dec 11.2021

ヨーロッパとオリエント、北欧と南欧を結ぶ十字路に位置するウィーン。その起源は、ローマ軍が軍の宿泊地を置いたウィンドボナにさかのぼる。その後10世紀に、南ドイツの貴族バーベンベルク家が北、東、南へと領地を広げてオスタリッヒ(東の国)と呼び、12世紀半ばにウィーンに宮廷を移した。バーベンベルク家の後に領主となったのはハプスブルク家である。1273年にルドルフ1世がドイツ国王に選ばれ、ウィーンを脅かしていたボヘミア王を倒し、都を奪還。1928年まで続くハプスブルク帝国時代が始まった。

ウィーンの街でよく見かける「双頭の鷲」。古代バビロニアに起源を持ち、古代ローマ皇帝、神聖ローマ皇帝、オーストリア皇帝の紋章として引き継がれてきた由緒ある紋章である。

婚姻によってボヘミア(現在のチェコ)、ハンガリー、スペイン、ポルトガル、さらにそれらの植民地を手中にし「日没なき帝国」となったハプスブルク帝国。しかし、オスマン・トルコからは2度も侵略攻撃を受け、1683年の第二次ウィーン包囲では間一髪で何を逃れた。この時、スパイとしてウィーン勝利に貢献したコルシツキーなる者が、敗退したトルコ軍の残したコーヒー豆を譲り受けてコーヒーハウスを始めたのが、ウィーンのコーヒー初物語だという伝説がのちに生まれた。現在では、それ以前にコーヒーを商うものがすでにいたとされているが、今もなおコルシツキー伝説は語り継がれ、ウィーンのコルシツキー通りに記念の像が残されている。

フランツ・ゲオルグ・コルシツキーの像。

華麗なバロック、優雅なロココ時代を経て、19世紀のウィーンはナポレオンの侵攻やウィーン革命、民族独立など激動の時代に入る。市民の間ではピーターマイヤーと呼ばれる安らぎと心地よさを求めるスタイルが流行。ハウスムジーク(家庭音楽)、ウィンナ・ワルツに代表されるダンスが愛され、カフェハウスはリビングとして、一日の大半を過ごす場所となった。今もなお、音楽、ダンス、カフェハウスはウィーンの人々の暮らしになくてはならないものである。とりわけカフェハウスについては、2011年にユネスコのオーストリア国内委員会が無形文化遺産に認定し、グローバル化の動きからウィーンのカフェ文化を守ろうという機運が高まっている。

ウィーンの人々にとってカフェハウスは新聞をのんびり読むリビングであり、友人とのおしゃべりを楽しむサロンでもある。

ウィーンの伝統カフェハウスとは?

ウィーンには17世紀の終わり頃に最初のカフェハウスがオープン。コーヒーを中心に、お茶やチョコレート、菓子などを出す店として生まれた。やがてビリヤードやチェスなどを置く店が現れ、18世紀後半には新聞を置くのが一般的になり、芸術家や文化人が情報交換をする“サロン”としての利用が習慣化していった。今も新聞を読んだり、おしゃべりに興じたり、食事をしたり、一日のさまざまな場面で交流の場として利用されている。

{Point 1} ウェイターの役割は重要。

かつて名だたるカフェのウェイターは、訪れる文化人に受け答えする知識や教養が必要だった。時代を超えた現代も、お客様の求めていることを察知し、軽妙なやり取りで和ませる、経験が求められる仕事だ。

{Point 2} トレイにコーヒーと水とスプーン。

どの店でも銀色のトレイにコーヒー、水、そして水のグラスの上にスプーンの背を上にしてのせるのが流儀。グラスにスプーンをのせる理由は諸説あるが、真偽のほどは不明で、その流儀だけは受け継がれている。

{Point 3} コート掛けが必ずある。

冬は厳しい寒さとなるウィーンでは、コート掛けは必須。入り口付近で重いコートを脱ぎ、コートを掛けて、“我が家のリビング”に入ったことを感じるのだ。曲木細工や真鍮製のコート掛けはあたかも工芸品のような機能美がにじむ。

{Point 4} 片手で読みやすい新聞ホルダー。

なくてはならないものの一つが新聞。文化人のサロンとしてさまざまな新聞を取り揃えるのは当たり前だった。持ちやすく読みやすいように、また、綺麗なままに整えておくために、専用のホルダーにセットするようになった。

 

PAGETOP