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So, Coffee?

COLUMN

再生への足がかりは2,000本にも及ぶ木の調査から。
2000本から4本への選定。

復活プロジェクトを始めるにあたり、まず取り掛かったのがブルボンポワントゥの品種の確定だった。ブルボンポワントゥ復活プロジェクトは、いつしか島中に知れ渡ることとなっていた。そのため島の至る所からブルボンポワントゥと思しき木の情報が寄せられ、その数は約2,000本にも及ぶことに。その中からブルボンポワントゥの外見の特徴に合致したものを一本ずつ見極めて、なんとか250本まで選りすぐった。

そこからは内面的特徴である”低カフェイン”を基に厳選。ブルボンポワントゥのカフェイン含有量は通常のアラビカ種の約半分ということがわかっていたのだ。その特性を持ち合わせていた木を選出しさらに味わいや香りの吟味を重ね、最終的に4本の木を”マザーツリー”と定めた。

ブルボンポワントゥはほとんどが無農薬で栽培されている。

7年の歳月をかけて伝説が復活

2003年に試験培養を開始するにあたり、まず頭を悩ませたのが苗をどこに植えるのかということだった。農作物であるコーヒーは何よりも土壌が大事になる。レユニオン島は面積2512㎢で神奈川県よりやや広く、外資およそ250km。その中に標高3069mの火山と2631 mの活火山がそびえる。そのため、島の気候は複雑だった。山の東側は雨が多く高湿、西部は乾燥しているが午後から雨が降ることが多い、という具合だ。またコーヒー栽培に適している高地は、火山が作り出した複雑な地形の影響で少し移動するだけで気候が変わってしまう。わずかな違いで生育に差が生じるのだ。また、レユニオン島の土壌を調べると、49もの土壌があることが判明。しかも、育てるのは突然変異で生まれた「ブルボンポワントゥ」 。通常の栽培方法が通用するかどうかもわからない。コーヒー史に残る伝説の島の豊かなテロワール(環境・風土)がブルボンポワントゥを育ててくれることを信じるしかなかった。

さまざまな調査の末に87農園107の区画で栽培をスタート。しかし、悪い予感は的中し開始2年で20近い農家が栽培から手を引いてしまうほど、生育は困難を極めた。そもそも、ブルボンポワントゥなどのアラビカ種はサビ病に弱い。その分、味・香りともに素晴らしく人々を魅了してやまない。ブルボンポワントゥはそれに加え、レユニオン島で交配するこなくひっそりと生き残っていたコーヒーで、限りなく原種に近い。品種の個性が際立ち品質の良さも群を抜いていたが、栽培の難しさも想像を超えていたのだ。しかも、農家は皆コーヒー栽培は初めて。小さなエリアで気象条件が刻々と変化し、コーヒーの苗木は弱り、2年で見限る農家もでた。

それを何とかつなぎ止めようと、現地指導を行ったのがUCC農事調査室のスタッフたち。日本から片道最低20時間かかる道のりを、幾度も往復しブルボンポワントゥの復活に夢を託した。その甲斐あってか4年目にとうとう実が色づき、収穫できる環境が整う。しかし、土壌の良さを最優先に農地を決めていたため、足場が悪いところが多く、脚立すら置けない場所もあるほどで、収穫するのも苦労の連続だった。

収穫が進むにつれ、最後の関門として立ちはだかったのが焙煎だった。ブルボンポワントゥの豆は細胞一つひとつが非常に小さく、密度が高くて堅いため、焙煎しても膨らまず均等に焼くのを困難なものにしていた。過去にさまざまな豆の焙煎を行ってきた、ベテラン焙煎士が五感を研ぎ澄ませながら幾度も焙煎を繰り返した。やっと納得いく焙煎ができた時、カップからは驚くほど甘い香りが立ち上がった。口にすると、今まで飲んだことのない甘く澄んだ味わいが広がり、後から爽やかな酸味が広がったのだ。

「今まで飲んだどんなコーヒーとも違う香りと味わいだ」カップテストに臨んだ誰もが、そのピュアなコーヒーとの出会いに感動した。これが、伝説のコーヒーが目を覚ました瞬間だった。そ

んな多くの障害を乗り越え、無事「ブルボンポワントゥ」が日本市場で発売を迎えたのが2007年のこと。ブルボン朝をも魅了したという過去。自然が生んだ低カフェインという類いまれなる個性。そして、絶滅しかけた品種を手探りで復活させた7年間。どれをとってもコーヒーを愛する者にとっては何物にも代え難い、夢とロマンに満ちた伝説のコーヒーだったのだ。

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